田舎にはなにもない
私は生まれも育ちも徳島県です。学校への通学路には見渡す限り水田が広がっていました。水田の奥には青々とした山が映え、田舎の田園風景そのものでした。「田舎には何もない」当時の私の目にはそう映っていたのです。流行りの音楽も、イベントも、洋服も、徳島には一周遅れでやってきます。田舎で暮らしていることがコンプレックスだった私は、高校を卒業すると都会の刺激を求め、大阪の大学へと進みました。卒業後は地元へ帰る友人も多い中、私は大阪で就職しました。田舎に帰りたい気持ちは微塵もなかったのです。
最初のころは何もかもが目新しく楽しかったのですが、少しずつ都会で暮らす故のストレスに呑まれていきました。仕事着はスーツにヒール。満員電車で通勤し、いくつもの企業が犇めく高層ビルへ吸い込まれるように出社していました。窓の開かないオフィスが私の仕事場でした。営業職に就いたので、対人関係のストレスを何かで発散させようと、自分へのご褒美として海外旅行に行ったり、奮発して高価な買い物をしたりと、自分のもやもやする気持ちを発散し、心が満たされるために手あたり次第に何かを欲しがっていたように思います。
趣味が気付かせてくれたもの
そんなときに出会ったのがスキューバダイビングです。南国を求め、長期連休の度にどこに旅行へ行こうかと目を光らせていたものでした。沖縄や、奄美大島、東京の離島へも足を運びました。コバルトブルーの海へ潜ると、現実離れした世界が迎えてくれます。
その一方で、海底にはたくさんのゴミが沈み、瓦礫のように朽ちた珊瑚の群生が海底に広がっていました。色を失い、真っ白になっていく珊瑚や、年々種類も数も減っていく海の生き物を見るのは本当に心苦しかったです。
珊瑚は動かないので石かなにかだと思っている人もいますが、実は動物なのです。海の生き物の住処の役割を担っているのですが、気候変動の影響で海水温が上昇すると、珊瑚に住んでいる住人は珊瑚を離れて出ていってしまいます。美しい海中の造形は急速に廃墟へと変わっていっています。
どうにか海の中が劣化していく状況を食い止める方法はないかと調べていたときに、私たちの食を支える農業が自然環境に与えているダメージの大きさを知りました。土壌に散布された除草剤や農薬、肥料は川へ流れ込み、やがて海へと集まります。また、菌や微生物を始め地球上の生物の9割は土の中にいることを知り、陸の暮らし方を見直すことが、巡り巡って海への負荷を減らせるのだと気付きました。
口にしたものが体をつくる
サラリーマンとして働いていた時は、食や健康にあまり関心はなく、時折スーパーで野菜を買っても、使い切れずにダメにしてしまうことが多かったです。
普段から朝ごはんは摂らず、昼、夜ともに外食か、会社の近くに売りにくるお弁当屋さんの弁当に頼っていたのですが、仕事が立て込み、昼ご飯を食べる時間が10分ほどしかなかったときに利用したファストフード店でふと我に返ったのです。カウンター席に並ぶスーツ姿の人の元へ届けられるトレーと、それを顔色一つ変えずに食べ始めた人の姿が、“料理”を食べているのではなく、”餌“を食べているように見えたのです。
食品工場でベルトコンベアーの中を通っている間に作られた”モノ”や、大量に大型の機械で作られたものよりも、人の手で手間をかけて作られた料理が食べたい。一つ一つ愛情込めて育てられた野菜を、顔の見える人から購入したいと思うようになり、食への意識も一気に変わっていきました。
何かを知りたいと思ったときや、同じ志を持って活動をしている人と、すぐに出会えるのは都会に住んでいてよかったと感じたところです。情報量や、情報にアクセスできるスピードは桁違いに違うのですが、様々な面からこのまま都会で暮らしていくことが、今の自分に合っているのかどうかを考えたとき、10年近く離れていた地元へ帰ることを決心しました。ここには「何もない」と思っていた田舎へです。
心から安心できるということ
全身で朝日を浴びて、小鳥や虫の声を聴きながら汗をかく。旬を五感で味わい、季節の巡りのなかに生まれる営みがこんなにも心地よいものなのだと気付くのにそう時間はかかりませんでした。
夜遅くに食べていた濃い味付けの外食や、スーパーのお惣菜が身体や心の不調を引き起こしていたことに気付いたのも農家の生活リズムになったからだと思います。生活のなかのストレスが少なければ、他の何かで満たされようと欲が膨れ上がることも少なくなるのかもしれません。今では長期の休みを取るほうが、整ったリズムを崩してしまうと感じるようになりました。いつの頃からか、あれだけ頻繁に開いていた旅行サイトも不思議と見ることがなくなりました。
若葉農園で働き始めてから変わったことの一つに味覚があります。野菜そのものの甘みや、苦み、ミネラル分のようなさまざまな味がすることを初めて知りました。
圃場で見る野菜たちはきらきらしていて、本当に「美しい」の一言に尽きます。鮮やかな人参のオレンジ色は太陽の光を浴びて、より輝いて見えました。さっと土をはらっただけの人参に初めてかじりついたとき、口のなかに広がった華やかな甘さは今でも忘れられません。
昔から好き嫌いはなかったのですが、味付けのされていない野菜が苦手で、サラダや茹で野菜にはマヨネーズやドレッシングをかけないと食べられなかったのです。思い返せば、それは野菜を食べていたのではなく、味のしない野菜に調味料の味を乗せて食べていたのかもしれません。
本当の野菜の香りや、美味しさを知ってしまった今、都会で暮らしていた生活にはもう戻ることはできません。旬の野菜の様々な食べ方に興味がわくと、料理が楽しいと感じるようになりました。あれこれ調味料を足さなくとも、塩や醤油だけでも十分味が決まることに驚きました。今では若葉で働くスタッフの昼食のまかないも担当しています。
私たちの体は、食べたもので作られているということを、若葉で働いていると実感します。サラリーマンをしていた時は、常に体のだるさや、頭の重さを纏っていましたが、比べ物にならないくらい体の軽さが違うのです。季節の変わり目で毎年体調を崩していたのですがそれもなくなりました。体調を崩したら、病院や薬を頼ればいいと思っていましたが、その考え自体もなくなりました。
若葉農園との出会いは、人生観の軸を強固にしてくれたように思います。都会での生活は、「暮らし」を「買う」生活でした。お金を払って「満足」を買い、消費していたのです。今私が幸福を感じる「暮らし」は、汗をかいて育てたお野菜をありがたくいただくこと。それから、若葉農園を応援したい、若葉のお野菜を買いたいといってくださる方にお届けすることです。
これまで生きてきた中で、農家という職業にここまで魅力を感じたことはありませんでした。虫や生き物を敵とせず、一切の肥料を入れなくてもこれだけ立派に野菜を育てることが出来るのです。農薬をはじめ、化学的なものにも頼らずに作られた野菜やお米の存在は、心から安心できる暮らしに最も大切なものだと気付きました。
若葉で農家修行をしているなかで、常々思うことがあります。自然農法の農家こそが、自然を尊び、土地を守っていくことができるということ。そして大切な人も、自分の健康も担うことができる最高の仕事なのです。